内容は読んでいただけると解るのですが
たかが 『ひざの開き方ひとつ』 なのですが、気持ちの入り方が違ってくる
というものでした。
話は変わるのですが、『若さの泉・5つのチベット体操』の中に、僧侶たちがチベット体操をしている光景が出てくる場面があります。
じつは、それは 第3の体操(儀式)の説明の後に出てくるんです。それには、このように書かれています。
以下引用--
わたしは、200人以上のラマ僧がこの儀式をいっせいに行なうところを見たことがある。意識を自己の内部に向けるため、彼らは目を閉じていた。儀式を行うことにより、雑念は払われ、意識は内奥へと集中していく。
---引用ここまで
この文章が第3の体操(儀式)の後に書かれていることが、私にはすごく興味があるんです。
ここからは、私の妄想なのですが(笑)、第3のひざは、多分閉じて体操をしているような気がするんです。それは、リンク先の記事に書いたように、気持ちの持って行き方が全然違うからです。
それと、体操そのものの速さなのですが、そんなに速いペースで動作を繰り返してはいないような気がするんです。
なぜか?というと、意識を内奥に集中させていくためには、ある程度ゆっくりである必要がある気がするんです。
で、この場面の話なのですが、面白いことがあるんです。
みなみさんと、この場面を自分ならどこから見ているか?というような話をしました。
二人とも、 僧侶達の左後ろから この場面を見ている。
速さは、やはり ゆっくり。
場所に関しては、彼女は外チベ、私は建物の中 ということで、頭の中にイメージされていることをお互いに知りました。
皆さんは、いかがでしょうか?
昨日の『チベットクラブ・ごめんなして』は
チベット体操 第3の体操でひざは開いててもいいの?その2 です。
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